いのちの記憶を託されて 板井八重子

総合文化誌「Kumamoto」No42(2023年3月号)の65~70pに 板井八重子医師が特集「水俣病裁判で患者側全面勝訴から50年」の中で表題の文書を書いている。水銀による影響を受けたのは成人ばかりでない、母が摂取した魚の水銀を胎児が受け取り、胎芽期異常の「流産、死産」を1980年代、水俣、その周囲の集落で、水俣協立病院職員を中心に調査に入った。その結果を基にして1992年「有機水銀濃厚汚染地域における異常妊娠の推移に関する疫学的研究」として論文にした。その後、environmental Scienceに発表。水銀汚染があっても生まれることができた子ども=胎児性水俣病といわれ、この世に生まれ出なかった流産、死産の子どもらの数が汚染の時期と相似していた。彼ら彼女らとの約束・・二度と水俣病を繰り返さないことを心に決め、世界の人に水俣のことを知らせたいと現在英訳を進めている話が語られている。

水俣病多発地帯での産まれ出なかった子どもらの調査を行い論文発表した

知らせなければ、繰り返される悲劇、未然に防ぐための教訓を経験者その周囲は努力して知らせる義務がある。沈黙は絶対に出来ない。そんな使命感をもった医師の話を伝えていく

命を産んだ女医だから思う事柄が英訳される本の中身にある。1980年代の調査では当時水俣協立病院の男性職員は主に道案内や運転手を、女性である看護師さんや事務系の職員はデリケート過ぎる事案で厳格な秘匿が必要な調査だった。放射線技師の仕事を終えた私は午後五時過ぎてからは運転手として参加していた。まとめられたことが日本や世界を動かすものになったことは嬉しいことである。ただこの世に産まれ出ることが出来なかった命が何と沢山あったことか。決して忘れてはならないことだ。水汚染は絶対やってはいけないことで放置すれば人類の未来を閉ざしてしまう。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です