春の水とは

春の水とは濡れてゐるみづのこと

長谷川櫂 第一句集『古志』1985年5月発行より・・幼い頃からの友達。まさか俳句を本職にするとは思わなかった。日常生活ではユーモアもあり面白い男だった。小学生の頃、暗号でメッセージを送るというので、よくみたら「おすとあんでる」「ひねるとじゃー」などいくつかの単語が書かれていた。最初は饅頭のこと、次は水道のこと。種あかしで大笑い。あんこにも暗号にもならない懐かしい話しだ。東大法学部を出たら法律家になるのかと思っていたら全然違う分野へまっしぐら!読売記者を退職し俳人に。記者の時もその後も俳句関連の本をたくさん書いている。現在、俳句会最高峰(俳句界では最も権威ある賞)といわれる蛇笏賞の選者を務めている。彼から『古志』という句集は私が水俣時代に貰ったもの。その後俳句結社『古志』を興して若い感性が必要とさっさと主宰を若手に譲った。

第一句集には ゆっくりと吹きほどかるる雁の棹 という句を書いて呉れた。俳句は自分勝手で解釈してよいというものだから、まったく検討違いでもよいのかなと思いながら・・この句は 巣立って人それぞれ目的を持って目指す方向へ列から一瞬、風に吹かれたように離れてゆくのかな。いずれは 棹 に再び集まるのかなと解釈した。(全然違う身勝手な解釈だとは思うが)そんなふうに俳句鑑賞出来る知識もない。熊本の江津湖や水前寺公園のことを詠んだ 火の山の裾に水湧き芭蕉林 もあった。 東北大震災のあとには、 国難や一の頼みの柏餅 という句を「震災句集」に書いて送ってくれた。感性のない馬鹿な私には今も俳句は”猫に小判"という表現が似合う。

 最初の 春の水とは濡れてゐるみづのことについて、櫂の家の近くに砂川が流れていて、まだコンクリートで固める前の川に二人で入ってよく遊んだ。裸足でその川の流れに足を委ねているとこそばゆい砂の感覚を覚えてるかという問いかけがあって、春の水に例え、(H2とO2が化学変化を起こして水になる)そのH2O 水の分子自身は触れないが、春になると触れる水になる。そんなこと言っていたような曖昧な記憶。海馬が弱い私が間違えて覚えているのかもしれない。感覚的には、冬には凍っている水が 春にはさらさらした水になる。みたいな直球的な素人解釈もあってもいいのだろう。何しろ解釈は自由だ。これ観た本人からは全然分かっとらんと抗議が来るかも。目にふれませんように(H) 

・・・と書いていると偶然 櫂から(冬は水道管の)「水抜き!」四文字のメッセージ。ちょうど今「春の水」のことを考えていたので「凍ったあとの溶ける水が怖い」と返事した。即座に「!」の返信が来て連絡終了。

最近の 句集『太陽の門』 震災や戦争を主題にしたもの。大病をして作風が変わってきた。死と日常が近づいたような句もある。命を見つめ直すところも。

 読売新聞「四季」 朝日俳壇選者

 櫂のサイト

https://gokoo.main.jp/

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